(2001年11月26日新規作成)
モンゴル通信 崑崙の高嶺の此方より


 第4回 モンゴル科学技術大学の第一印象
                 (2001/11/26記)
G 様 へ

御無沙汰しました。
モンゴルに出発する前にご挨拶をと思いながら、出発の真際になって、四度目の来日となる馬頭琴奏者のアリュンボルト先生と東京で会ったり、
アリュンボルトさん(2001年11月21日、板橋区民会館にて)

東北大学の客員教授として来日したモンゴル科学技術大学のバダルチ学長と幸運にも仙台で面談の機会を与えられたりでてんやわんやしてそれも果たさずモンゴルに来てしまいました。

東北大学の東北アジア研究センターの客員教授として来日したモンゴル国立科学技術大学(MUST)バダルチ学長と(2001年11月8日、東北大学にて)。

11月16日の夕刻にウランバーートルに到着し、一週間が過ぎたところです。
幸い今年は秋が長く(こちらの人はこのように表現します。)、日中は日本の小春日和のような陽気です。多分、上田や仙台などの今頃と似ているのではないかと想像しています。
それでも朝方の冷え込みは新潟の雪国に育った私くしには、始めて体験するような寒さで、これまでの一番の寒さはマイナス15度でした。この位の寒さは、乾燥しているこの国ではむしろ身が引き締まり、気持ちが良いくらいです。
シニアボランティアの先輩達やJICAの幹部の方々にはやがて来るマイナス30度の寒波の恐さをくり返し聞かされ脅されております。

週末にホテルから近くのアパートに引っ越してここでの生活のベースが整ったところです。
今日26日(月)はこの国の独立記念日(1924年の清朝からの独立。モンゴル語教室の モンゴル人の若い女性教師ウンダルマー先生にソビエトからの独立かと聞いて笑われました。)で三連休です。
明日から大学の研究室に出てぼちぼち仕事を始めようと思っています。
バトバータル学長秘書に案内してもらった研究所はまだできたばかりで、私が現役時代に働いていた職場はもとより、今まで見たどんな職場よりも整然としてきれいな印象を受けました。
モンゴル国立科学技術大学は1万7千人の学生を擁するこの国の最大規模の大学で構内は若い学生の熱気に満ちており、技術系の大学であるにもかかわらずほとんど男女の比率は半々という感じです。質問しても 男女の比率というようなデータはとったこともなくまあそんなもんだろうというような返答です。
大学案内のパンフレットはジーンズをはいた女子学生が正門前に思い思いの姿勢で並んでいる写真で男子学生は一人も写っていません。女子大かと思われても仕方のないような表紙です。


日本の男社会と比べて雲泥の差です。40年くらい昔、東北大学の工学部では2000人の入学者に対して女子学生は一人だけだったと話したら、この国も昔はそうだったとの学長秘書の答えでした。

日本大使館に花田麿公(まろひと)大使(水平線会議http://www.chiheisen.net/ ) で花田大使のインタビュー記事が御覧いただけます。)を表敬訪問した際、「この国の大学、特に情報工学部門は熱気でお湯が沸き立っているような状態です。あなたはこの国で二度も三週間もの長い夏休みを過ごされたようだが、そのような牧歌的な夢はそれが最後となるでしょう」といった意味の手厳しい訓示を頂戴致しました。
もとより、多少の火傷は覚悟しておりますが、若さにまかせて頑張る年ではありませんので「老骨のおもむくままに」若い学生とともに活動する決意であります。
通信事情は良好で、こちらのプロバイダーmagicnetと契約して日本にいる時と同じようにメールもWWWも利用できます。今回派遣されたシニアボランティア四人の内、偶然にも私を含め三人が同じ科学技術大学で働き、学内の席も近くにあります。驚いたことに私も含め三人とも日本では携帯電話を持ったことのない人たちで、Nokiaの携帯電話を初めて手にして子どものようにはしゃいでお互いに送受信のテストをしてなんとか通話ができるようになりました。余計なことですが私の呼び出し音はジュディオングの「魅せられて」に設定されていました。古いですね。
週末はホテルの一室にノートパソコンを持ち寄って、すったもんだのあげく三人ともメールの送受信ができて思わず万歳です。
このような中身の濃い一週間はこれまでの人生でそんなになかったなあと皆で話しております。
この国の熱気に当てられてテンションが高くなっており、ついつい繞舌になってしまいます。
また、改めて大学の様子などお伝えしたいと思います。それではまた。長くなってご免なさい。
(EOF)