(2002年2月4日新規作成)
モンゴル通信 崑崙の高嶺の此方より


 第22回 バトフさんの夢
                 (2002/1/27 記)

橋本 良忠 様
(大学の寮で4年間同じ釜の飯を食った学友で土木地質(株)社長、第1回のモロッコ派遣青年海外協力隊員OBとして2001年まで海外青年協力隊運営審議会メンバー

 

昨日(1月26日)はバトフさんのワゴンに千秋も夏美も乗せてもらいウランバートルの70キロ北の別荘地を見につれていってもらいました。

バトフさんの奥さんはこの土地をまだ見ていないそうですが、小さい子供が風邪をひくといけないので同行せずわれわれが先に案内されることになりました。

ウランバートルからバトフさんの友人のバータルジャブさんも同行しました。バータルジャブさんはバトフさんの隣の県の出身でブルガリアの大学に留学し今はガソリンスタンドを経営する社長さんです。日本に何度か旅行したことがあるので日本語も少し話せます。(写真)

バットスンベルに向かう雪の草原で、左から夏美、武久、バトフさん、バータルジャブさん(撮影:千秋)

この別荘地でとりあえず牛20頭と蜜蜂を飼って自給自足の体制を整え、将来は大学の夏の薬草採集の実習地にしたいのだそうです。

このヘンティ山脈の麓は薬草の種類が豊富で車は入れなく馬に跨がって奥に分け入って行きます。

この話を聞いた時は、養命酒の創業者の塩沢宗閑翁が牛に跨がってて信州赤石山麓を薬草を求めて跋渉しているイメージが浮かびました。(塩沢宗閑翁についての紙芝居はここでご覧いただけます)

バトフさんはモンゴルの塩沢宗閑翁になるのかもしれません。

(絵は養命酒(株)のホームページより複写)

 

橋本氏がこの夏にモンゴルに来た時はここを訪れることになるでしょう。

麓の材木屋で木造の山小屋の販売展示品を見せてもらいましたがこれが薪ストーブも含めて日本円で50万円位だそうです。この建物を一棟建てて冬の間はこの部屋のひとつを物置きとして折り畳んだゲルを収納するのだそうです。

ストーブの煙突の設計が実に良くできていて、台所に設置してあるストーブで薪を燃やすと煙突はその北側にある二つの部屋の境界の壁の中を通りジブザグに上に登って行き、煙突の壁面はレンガで組んでいるのでここに熱が蓄積され、煙りが煙突から出る時はほとんど熱がないそうです。

薪は常時燃やしていなくても部屋は余熱で暖められているので快適です。表面は白い塗料で塗られているので部屋の中から見ると煙突かどうかは見分けがつきません。

天井近くに空気の量を調節するダンパーの鉄板が水平に取り付いています。

薪の材料は黒松で東側の山の斜面は一面の松林なのですべて自給可能です。

石炭は火力は強いが臭いがするので使わないそうです。

ウランバートルで売っている薪は一袋800T、石炭が1000T位だそうです。

窓はすべて二重窓です。外側のガラスと内側のガラスの間には松ぼっくりが放り込んであります。部屋から出る湿気がこれで吸収され窓が曇らないのです。松ぼっくりの松かさが半導体部品の放熱器のフィンのように表面積を大きくしておりローテクの極みです。

そう言えば、ワゴンで走っている時も窓ガラスが曇っているのは自分の吐く息のせいで外気の湿気ではありません。だから内側から爪で凍った部分を掻き落とすと外の景色が良く見えるようになります。

 

蜜蜂飼育の実際の作業はその土地のサンギドルジさんという人が行います。

ふもとのサンギドルジさんのゲルで昼食のボーズをご馳走になり、お土産にヘンティ山脈で集めた蜂蜜一瓶をいただきました。

バトフさんからも一瓶戴いているので当分は朝起きたらこれをまずお湯に溶かして一服という健康的な生活ができそうです。

バトフさんも朝起きるとまず蜂蜜を飲むというのが習慣になっているそうです。

バトフさんの別荘の近くにアメリカ人の家族が住んでいてアメリカ流の牧畜を指導しているそうです。

主人は50才くらい、奥さんは40才くらいで子供は5人いるそうですが、バトフさんの友人でこの企画の共同推進者のバータルジャブさん(ガソリンスタンド経営会社社長)が「いや、6人だ」と訂正しました。

今は家族全員でタイに旅行に出ているそうで会うことはできませんでした。

旅行の間はモンゴル人で彼の指導を受けた人たちが牧場の世話をするのでこのような長期の旅行ができるのです。

バトフさんはこの人の畜舎がモンゴルの伝統的なものより換気や採光の面で優れているのでまねをするそうです。

このようにアメリカ人は危険などにあまり頓着せずいきなりモンゴルの現地に飛び込んで地元の人たちと交流する。

「危険かどうかを最優先で考えて行動するのは日本人だけじゃないですか? モンゴル人は仮にそれで命を落としたとしてもおれの命もそれまでのものかと潔く運命に従う」とバトフさんは言った。

バトフさんは見た目は穏やかないかにも学者然とした風貌で話ぶりもいつもはそうなのですが時々「冬のウランバートルはスモッグがひどくてもう人間の住む所じゃありませんよ」とか「日本式の便器は好きだなあ。あれだとやった−という気になる」とかいうような類いのかなり過激なセリフを口にするので驚かされることがしばしばある。

そんなに命を大事にして何のために生きているのか? 生命は所詮道具に過ぎない。

道具は大切だが大切にし過ぎるあまり道具箱に大切に保存して、例えばカンナの頭をトンカチで叩いて刃を出してやらなかったら小屋の一棟も建ちはしない。カンナは頭をトンカチで潰され刃こぼれをおこし、それと引き換えに一棟の小屋を残すのだ。

バトフさんの言いたいことはざっとこんなことと思うが、要は「日本人は陽明学の教えの対極にいて、モンゴル人はその反対に人は何のために生きるのかということをよく心得ている」ということのようだ。

もちろん、バトフさんも日本で6年暮らしていたので、日本には保険制度が完備しており、そのような社会制度が個人の行動をいつも安全な方向に制約していることを十分承知している。

 

サンギドルジさんのお父さんは今年89歳でいつもはベットに横になっているのだけれどもわれわれが訪問した間は起きていてくれました。

耳が遠いので家族が耳の側で大きな声で話さないと聞こえません。

デールの左の胸に勲章がついていました。

1939年のノモンハンの戦い(こちらではハルハ河戦争と呼ぶ)と1945年の満州開放の二度にわたり兵士として参戦したのだそうです。

そのときは日本を敵国として戦ったのだけれども、あなたがた若いものがこのように仲良くしているのを見るのはうれしいと涙ぐんでおられました。

(EOF)